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*** カウンセリングは占い? ***





 

ある夜、何気なくテレビを見ていたら、よく当たると評判の占い師が出ていました。

その紹介映像の中で、占いに対する世の中の疑問として「カウンセリングは占い」という言葉が表示されました。カウンセリングを学んでいる者としてちょっとビックリしましたが、そういえば、「日本では占いに人気があるからカウンセリングは普及しない」といった主旨のことも最近聞いたなぁと思いつつ、そのままでいました。

この「カウンセリングと占い」というキーワードがおそらく私の無意識化に潜んでいたのでしょう。ある朝、目覚めた瞬間に、ぼんやり浮かんだ試論をここに書き留めておきます。(ですので、この文章は寝起きで書いています(笑)。)

さて、占いは統計学です。テレビに登場していたその占い師は、何種類もの占いを統合し、人間のパターンと傾向を細かく分析・分類したものが頭に入っていて、相手と会ってものの数分で「あなたはこういう人です」と特徴を次々に言うことができます。
研究の成果が書かれたノートはかなり使い込まれているのでしょう、もうボロボロで、びっしりと数字や記号のようなものが書かれていていました。

一方、化粧品販売やサロンなどでよく目にする「○○カウンセリング」というのは、比較的丁寧にお客様から聞き取りをし、そのお客様のニーズ・個性にあった商品・サービスを提供するためのものです(ここでは一応商業カウンセリングとでも呼んでおきましょうか。先日この商業カウンセリングを「ヒアリング」と表現している会社があって、実質はこっちの方がぴったりくる言葉だよなぁと感じましたが、表現としては「カウンセリング」の方が上等なことをしてもらえる印象を受けるので多用されているのでしょうね)。

とすると、占いも商業カウンセリングも、相手をよく見て、自分が持っている分類(統計・分析、商品・サービス)に収めるという作業が行われていると言えます。
先ほどの良く当たる占い師は、これまでの占いをはるかにしのぐ分類の数と種類をもっているのでしょう。そうすると「当たる」精度はグンと上がるものです。

ただ、占いや商業カウンセリングなどで分類されても、「あえて言えばそうかな」「一部はそうだけど、そうじゃないところも自分にはある」と、どうしても感じてしまう。腹にストンと落ちてこない。

そもそも人は、どうしてお金を払ってまで自分の特徴を当ててもらいたがるのでしょうか?

心理学的に言えば承認欲求などで説明できるのでしょうが、要するに、それほど人は「わかってもらいたがっている」のです。裏を返せば、日頃「わかってもらえていない」という不満が大なり小なり人にはあるということです。

話を戻して、ではカウンセリングはどういう位置づけのものなのでしょうか?

カウンセリングは、占いや商業カウンセリングではどうしてもカバーしきれない、人間ののりしろ・ひだとでも言いましょうか、まさにその人しか持ち合わせていない心の部分に迫っていくものです。
まさに占いや商業カウンセリングで「そうじゃないんだよな…」と感じる部分が、その人の個性・宝物なのです。

最終的に、その部分に本人が自ら気づき、理解し、そんな自分を認めることができれば、人には変わろう・成長しようという力・意欲が出てきます。そのお手伝い、もっと控えめに言えば伴走をするのがカウンセラーです。
(その伴走をするためには、カウンセラーは心理学や人間学をはじめとした軸を自分の中に持つことが必要になります。これは、伴走者が道に迷ってはいけないということではありません。クライアントと一緒に道から逸れて森に迷ってみなければ、クライアントの個性・宝物には出会えません。ただ、一般的な枠組みを軸として持つことで、今クライアントと自分が迷っているということを自覚できることが肝要です。)
クライアントの長く苦しい心のマラソンに伴走するのがカウンセリングですから、どうしても時間がかかります。占いと違って、「短時間」で「診断」や「解決法の提示」をすることはできません。

さて、最後に「カウンセリングは占いか?」という問いに答えるとすれば、もちろん「NO」という何の変哲もない答えになってしまいますが、そのカウンセラー・占い師の依って立つところにより、その整理の仕方は異なりますし、カウンセラーが分析・傾向学を重んじる人であることもあれば、占い師がカウンセラー的個性を活かしていることも多くあるでしょう。さらには、もし霊能力・直観というものがあるのであれば、それを活かして相手の役に立つこともできます。

カウンセリングも占いも、そして霊視(!?)も、大きく括って「人を救う、援助する」という共通の目的がある以上、ハッキリ・キッカリ分類できるものではなくて、どこかでつながり、重なっているのでしょう。だから、比較して論じられたり誤解されたりするわけです。

そもそも人間がやること・人間のあり方を、完全に分類などできるわけもありませんし。

さて、さすがにお腹が空いてきました。何か食べるとしましょう。


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