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*** 「もし、あのとき」〜私の答えの出し方 ***





  私は、よく言えば熟考するタイプ、悪く言えば優柔不断なタイプです。
そんな私は今、大きな決断を迫られています。

「られている」とはいっても、誰か他人に迫られているということではなく、
いずれやってくる時が、たまたま今このタイミングでやってきただけのことなのですが。


この1、2ヶ月結論が出せず、どっちつかずの気持ちのまま悶々と過ごしていました。

そんな時、ある人の「もし、あのときこうなることがわかっていたら、こんな選択はしていなかった
という言葉に触れて、ふと立ち止まりました。


「もし、あのときこうなることがわかっていたら」
この言葉には、あのときこうなることが予測できなかった自分への悔やみ、もっといけば怒りが込められています。 

でも一方で、
「もし、あのときこうなることがわかっていたら」
この言葉の裏には「そんなこと、あのときわかりようがなかった」という事実もあるのです。

そう、どの選択が正しいか、そしてどの選択が正しかったかなど、本当のところは誰にもわからない。
映画や小説などと違って。

人生の意味に絶対的正しさなどないのですから。

じゃあ人生に意味を与えるのは誰だろう?

それは自分しかいない。

どんな選択をしようとも、それに意味と価値を与えるのは自分。
だったら、「どの選択をするのが正しいのだろう?」という、正解のない不毛な問いを立てるのはやめよう、
そう思うようになりました。

では、決断するとき、どんな問いを立てればいいだろう?

それは私の場合、「どんな選択が自分の好きな自分らしいか」という問いでした。

振り返れば、今までたくさんの挫折と決断を繰り返してきたような気がしますが、
やっぱりどれもこれも自分らしかったな、と感じるのです。

そして節目節目で別の選択があり得たか?と考えても、実際あり得なかったのではないかと。
もし、あのときにワープできたとしても、やっぱり同じ選択をするのではないかと。
傍から見たら、賢明ではなかったり、不器用だったり、弱気だったり、逆に強気だったり、
そんな選択だったかもしれないけれども、そしてその後苦労もしたかもしれないけれども、
「この私」という人間は、そういう道をたどってしか学べなかったんじゃないかと。

そう考えてくると、どんな道を選ぶか、は思うほど重要ではなくて、どんな生き方をするかの方が
よっぽど大事なような気がしてきました。

そう思ったら、選択をすること自体への苦痛・苦悩が大分軽くなってきました。

「どっちが正しいか」ではなく、「どっちが自分らしく生きられるか」を考えたら、自ずと答えは出てきそうです。
そして、そうやって出てきた答えは、きっと必然。 

亡くなった恩師はこんなことを仰っていました。
大切なことで迷うときは、「決める」のではなく「決まる」まで待つのが良い、と。
変に頭を使って考えたって判断を誤らせるだけでろくなことはない、
自分の心の動きを正直に追っていけばいずれ心は定まっていく、と。

その教えが、今の私にはものすごく腑に落ちています。
私の心が定まるのももうすぐ、そんな予感がしています。

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